カテゴリ:家と庭について( 6 )

2011年/新年おめでとうございます。
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正月休みなので、普段、庭について思っていることを少し書きます。
庭とはなんでしょうか?庭はなんのためにある??
いろんな説明ができて、上段に構えるととても哲学的になったりもしますが。。。

私たちは自然の中で生きています。
風が吹いたり、雨が降ったり、暑かったり、寒かったり、、、いわば「大きな自然」の中で。
自然の中で、裸では暮らしていけないので、服を着て住居に済んでいます。
住居の集まりは街となります。

庭は住居のまわりや、街にあって、大自然の荒々しさを和らげたり、季節の変化を分かり易く教えてくれたります。
こうした人寄りの自然。やや人工の自然。中くらいの自然。これが庭なのではと思います。

理想郷をつくったものや、農園的なもの。禅的な思想を表したものなど、、、
庭にはいろいろあって、一概には言えませんが、、、
生活環境としての庭は、基本的にはこのような「中くらいの自然」なのではと思います。
人の暮らしと、自然や土地とを、和ませて接続するのが庭の役目と感じています。


僕のところに庭の設計の依頼があるとき、
家は土地に、ただ立っているように見えます。
家のまわりの土地に、意味を見いだし、道や舗装をし、塀をつくり、木を植える。。草を添える。
こういうことが私の庭づくりです。
そうすると、家は土地やまわりの環境と和むような、その土地に根を下ろしたような風情に変化します。
人の暮らしが庭によって、土地(地球)と自然に接続される。
ここに庭づくりの意味があるように思えます。
日本の庭の場合は特に、四季という時間の変化と暮らしが接続することで、
私たちが生きている時間が、もっと大きなものと繋がることができるような気がします。

庭の材料である、木や草、石や砂利、コンクリートやセメントであっても、
それは私たちと同じ時間を生きる、私たちの暮らしのパートナーだと思えます。
もっと積極的に菜園や花壇、園芸でさまざまな実りを得ることもできます。
ただ基本は「庭は我々の友だち(パートナー)」であって、
素朴に当たり前のものでいい、という感じがしています。
また、マンション暮らしの人たちにとっては、
敷地の共有緑地や、街の街路樹や公園が庭の役目をするのだと思います。


庭とは何か?やはりうまくは説明できませんでしたが、、
今年も素朴に当たり前の庭が造っていけたらいいなと思っています。
もしご相談があればお気軽に。
今年もよろしくお願い致します!!
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面白かった!

西沢氏、これまで何を考えているのかがよく分からなかった。
この本でかなりすっきりした。

いくつか印象的なことをピックアップ。

1)nLDKタイプの平面の住宅の生活シーンは紙芝居のようだと氏は言う。
ありきたりの生活シーンがスライドショーのように浮かぶという意味だろう。
確かに設計者はキッチンの形式を選ぶ時、対面式にすれば、そのような生活シーンを思い描く。
テラスを作ればガーデンチェアでお茶でも飲んでるようなシーンを。
それが行なわれるかはべつとして、シーンを思い描くこと自体は悪くないと思う。
けれども、氏が懸念するのは、シーンとシーンが唐突に切り替わって、その途中や流れが見えないことだろう。氏は
『生活のいろいろなパーツがおのおの無関係に並ぶのではなく、むしろそれらがどれもシームレスに連続し合っていることが顕在化されるような生活の全体を、描こうとしている。』という。
その例のひとつが「ウィークエンドハウス」であろう。

2)船橋アパートメントについて
ワンルームへのカウンターコンセプトとしての、「スリールーム」。
「キッチン室」「ベッド室」「浴室」。
どれもが通常よりのすこし大きかったり、小さかったりする。
その通常からのズレによって、使い手の使い方への創意が刺激される。
それぞれを分けることによって、ワンルームの混沌が整理され、なおかつ、創造的にリモデルされる。。優れたコンセプトだと思った。

3)建築の各部の「機能」について
機能をそうし易い空間というような「効率」と考えるのではなく、
そうしたくなる空間というように「快楽」として捉えること。
これも重要なコンセプトである。

4)空間の「名前」について
空間の状況に相応しい空間の名前がある筈だと氏はいう。
既存の言葉では表せないような、新しい名前を要求するような空間をつくりたいと言う。なるほど。

5)森山邸について
オープンでバラバラでありながら、まとまって不都合のない状況。

6)十和田市現代美術館について
バラバラな森山邸のコンセプトの延長とも思えるが、
アートが「場所」を強く意識するようになっているのと平行して、
建築もアートや周辺環境を読み取ってとても上手く定着している。
奇をてらったところがなく、一番相応しいプランと思えてしまう。

7)設計へのモチベーション1
自分が今思いつく空間を常に超えたいと思っている。

8)設計へのモチベーション2
優れた建築によって、非常に魅力的な都市環境が創り出されることがある。
と強く思うようになった。


どれも面白い指摘であり、建築作品として上手く具体化されていると思った。
どれも自分なりに使える汎用性の高いコンセプトであると思う。

私は、3)の快楽としての機能と、
8)の建築が創り出す都市環境に特に興味をもって、設計の基本と考えてゆきたい。

もちろん、今思いつく自分のイメージを超えたいと思ってエスキスするが、、
これは厳しい作業である。
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『日本人と住まい 住み心地はどうですか?』
建築資料研究社
2005年2月24日発行
この本は、
リビングデザインセンターOZONE主催の展覧会
「日本人と住まい 住み心地はどうですか?」
(2005年2月24日〜4月5日)
に併せて刊行されたようです。

この本では、
「住み心地のよい家を考えるための7つのキーワード」
というのが提示されています。
こえがなかなか面白かったのでご紹介します。

キーワード1
『身の丈にあっているか』

自分の身の丈にあった家というのは、いろんな意味があると思います。
まず、家の大きさ。
一般に家は大きいほど立派でいい家というイメージがあるかもしれませんが、
私は大きい家に出会って、いいなぁ、、と思ったことはほとんどありません。
むしろ、小さな家に親密さや工夫を見いだして微笑ましく思ったりします。

また、身の丈という意味では、
家を取得するためのお金も重要だと思いました。
身の丈に合わない家を取得するということは、余程の資産家でない限り、多くの負債や責任、それにともなう緊張(ストレス)を抱え込むことになると思います。
また、働くために家を空けることが多くなったり。。笑
これでは「住み心地」以前の話になってしまうのではないでしょうか。

この本では「身体寸法」(ヒューマンスケール)についても触れています。
まさに「身の丈」。
『起きて半畳、寝て一畳』で済むとされた日本的なヒューマンスケール。
例えいろんなケースを考えて、ある程度の空間が確保されていたとしても、
人は座って半畳、寝て一畳なんだと思います。
人が住むのですから、空間が人のサイズに合っているのは当然で、
そういうヒューマンスケールの小空間が絶妙につながって、全体を成すような家がいい家、住み心地の良い家なんじゃないかと思います。
大きな空間をヒューマンスケールに分節してゆく方法もあるでしょう。

ヒューマンスケールを意識した上で、敢えて、人の手の届かない高い空間や見上げる窓をつくるのもいいでしょう。
ヒューマンスケールは、なにもちまちました小空間をつくりなさいという意味ではないと思います。
ただ、ベースとして、人の身体寸法を充分に意識しなさいという意味ではないかと。

長くなったので次のキーワードへ。

キーワード2
『まわりと馴染んでいるか』

これは、家の建つ環境と家との調和ということを言っています。
ただ、必ずしも既存の環境の雰囲気に合っていればいいかと言うと疑問があります。
画一的な新興住宅地に、同じようなハウスメーカーの家が建ち並ぶ姿、、、
これを調和とは言わないと思います。

このキーワードは『街と馴染んでいるか』と言ったほうがいいかも知れません。
すなわち、街との関係があるかどうか。街との関係が良好かどうか。
例えば、道から見える位置に樹木を植えて、街の緑化に寄与するとか、駐車場が車の無い時には庭のように使えるとか。。

とにかく、街からその家がどう見えるか?
街と家がどんな関係を保っているか?

は長くその場所に住んで生きて行くために、決定的な役割を果たすと思うのですが、、インテリアばかりに気をとられて充分に考えていないことが多いように思います。

キーワード3
『自然を活かしているか』

自然を活かすとはどういうことか?
まず、日光や風など、自然環境をうまく制御することでしょう。
暑くないよいうに、寒くないように、
台風でこわれないように、雨が漏らないように、、、
これは家の基本的な条件と言えそうです。

また、もうすこし積極的に、冬でも日光の採り方で暖かく過ごせるとか、
夏でも通風がよくてエアコンが要らないとか、
雨水をためて、庭の水やりやトイレの洗浄水に使うといったこともあるでしょう。

建材として、自然材料を使って、その良さを活かすというのもありますね。
これも重要なキーワードです。

キーワード4
『ひとつ屋根の下の感じがするか』

これは、ちょっと独特な意見な感じもしますが、
要するに、その家に住む家族の結束というか団欒、まとまりといったことではないでしょうか。
ひとつ屋根の下、とは上手く言ったもので、
マンションでは仕方がないと思いますが、戸だてには必ず屋根があります。
それなのに、四角い部屋がただ繋がったようにに感じられる家をつくることは、ちょっと勿体ない気がします。

キーワード5
『拠り処となる中心があるか』

これもキーワード4と関わりがあると思います。
ひとつ屋根の下、は全体の「まとまり感」だと思いますが、
拠り所や中心というのは、
文字通り、求心的に人が集まってくる場所。

日当りのよいリビングだったり、
冬の暖炉だったり、
大きなダイニングテーブルであったり、、

その家のシンボルというか中心があると、ぐっと良くなりますよね。
ただこれは、狙ってつくると難しいかもしれません。
人の集まらない広いリビングルームって話もよく聞きます。。

キーワード6
『あいまいで融通がきくか』

これは家族の成長や変化に対応できる間取りかどうか?
というのがまず最初に言えると思います。

また、日本の和室のように、様々な生活シーンに対応できるフレキシビリティを意味しているとも思えます。

キーワード7
『心が落ち着く要素があるか』

これは、この本のタイトルである「住み心地」に大きく作用する要素。
「住み心地」にはキーワードのあるように様々な評価軸があるでしょう。
その中で敢えて、直接「心が落ち着く要素」というのは、なんなのでしょう?

これは人それぞれなんだと思います。
古くなった柱だったり、お気に入りのドアノブだったり、
照明だったり、窓の位置だったり、家具だったり、、

中でもどちらかというと、視覚的なものより、手触りやいろんな感覚の混じり合ったようなものが、案外と心に響くような気がします。

いい椅子は、姿形より、座った感覚が直接心に響くように思います。
これは言葉ではなかなかいい表せない感覚ですね。


以上は、必ずしも本文中にあった意見や観察ではなく、
読んだ後で、私が感じた事柄です。

こうやって、「家のクオリティ」を決める条件を考え始めると、途方もなく、たくさんあって、それそれに意味が深いように思います。

ただ、このキーワードは家を考えるときに、
とても重要で、有用なんではないでしょうか。。
私自身の備忘録として。
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テントウムシがジョーロの水溜まりでじたばたしていたので助けた。

テントウムシというとアブラムシを食べてくれる「益虫」のイメージが強い。
虫の中では、ほとんど唯一というほど稀な正義の味方のイメージである。

▼シャツの袖の上を行くテントウムシ
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▼葉の上に置かれたテントウムシ。
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▼白い目がちょっとこわい。。
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天道虫/紅娘/瓢虫と書き、
名前の由来は、太陽に向かって飛ぶので、太陽の天道(軌跡)の虫というということらしい。

この写真のものはもちろん「ナナホシテントウ」。
他に「ナミテントウ」というのもいる。どちらも益虫。

[データ]
■ななほしてんとう【七星瓢虫】
テントウムシの一種。体長約 8mm。体は半球形で光沢がある。胸部は黒色、上ばねは橙色で七個の黒い紋がある。幼虫も成虫もアブラムシを食う益虫。日本・東アジアに広く分布。

■なみてんとう【並瓢虫】
テントウムシ科の昆虫。体長約 7mm。体は半球形で、上ばねは光沢を帯びる。上ばねの斑紋は橙色の地に黒色の円形斑が散在するもの、黒地に二つの橙色斑をもつものなど変異に富む。幼虫・成虫ともアブラムシ類を捕食する益虫。テントウムシ。日本・東アジアに広く分布する。
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五月の雨。
早くも梅雨の訪れを予感させる。

空から水の粒が落ちてくる雨。
あまりにも日常的なことだか考えてみれば不思議なことである。
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そんな不思議な自然の恵みである雨水を少しでも有効利用したいと考えたのは今からもう5年以上前のことである。
雨水利用のすすめについては90年代の後半から提言はされていた。
ただ市販の雨水タンクはまだ高価だったし、デザインもよくなかった。
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市販雨水タンクのデザインが今は良くなったか?というとそんなに変わらないのではないかと思う。
ただ自治体の補助金制度などもあり、費用負担としては軽くなっているようだ。

この自庭の雨水の水瓶(みずかめ)は、庭木や鉢物への水やり用である。
これで150リットルくらい溜まる。
縦樋を途中で切って、エルボーという曲げジョイントで曲げて、瓶に水が溜まるようにして、瓶からあふれた水は近くの排水口へ流れてゆくようにしている。
シンプルなシステムである。

これをやったのは2001年の夏のこと。
水瓶は甘木の古道具屋から6000円で買ってきた。
もともと水瓶だということだか、普通は黒が多い。実は一度普通の黒のを買って設置してみたが、けっこうすごい存在感でいかにも「古民家調」という感じになってしまった。それでこれはわざわざ一度交換してもらっている。実はけっこう手間と労力をかけたものだった。
玄関先にあるので、最初は訪問客などが「面白いですね」と言っていたが、最近では僕も家人もこれの存在が当たり前になってしまって、それ故か来る人もなんにも言わないような気がする。
このように生活にすっかり溶け込んだということは、いろんな意味で成功だったのだと思っている。


雨が降ると、じょぼじょぼと水が溜まり始める。
雨の音とは違った水の音がする。雨と水の二重奏という感じだ。
一杯に溜まってあふれる様子を見るのが好きだ。
水の表面が波打ち、水の底は深く真っ暗である。



夏でもこの水で1週間くらいは鉢物や植木への水やりに使える。
瓶からヒシャクやジョーロを使って直接水やりできるのでかえって簡単である。
全体に水を撒くときは水道からホースで行う。
雨水と水道、両方を適宜につかってちょうど良い。
瓶の水がなくなると、そろそろ雨が降らないかなぁと思う。

家の周りがぐるっと庭になっている自宅では、実際はここ1カ所では雨水利用も賄えない。ここを含めて5カ所の雨水溜めがある。
ここ以外は普通のポリバケツ(90リットル)である。
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庭には綺麗な花、可愛い虫だけがいるとは限らない。
先日発見してしまった。

椿の木についた「チャドクガ」。
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以下wikipediaより抜粋。
「チャドクガ(茶毒蛾)はチョウ目ドクガ科の昆虫。本州以南の日本各地に分布。年2回発生、卵越冬。日本では代表的な毒蛾である。園芸植物に被害を及ぼすほか、「刺されて」被害にあう人が後を絶たない。
幼虫(いわゆるケムシ)は4月から10月にかけて年2回発生する。淡黄褐色で成長すると25mm程度。チャノキ、ツバキ、サザンカなどツバキ科の植物の葉を食害する。
チャドクガは生涯を通じて毒針毛をもち、触れるとかぶれを生じるが、アレルギーのある場合はアレルギー反応を起こす。毒蛾の毛虫1匹にある毒針毛は50万本から600万本といわれている。
症状としては触れてから2~3時間して赤くはれ上がり痒くなる。毒毛針の知識をもたず、単に虫に刺された程度と軽くほうっておくとだんだん全身に及び、痛痒感で眠れなくなる。発熱や目まいを生ずることもあり、人によっては車の運転などに支障をきたす。そのままにしておくと2~3週間もかゆみが続くので医師の治療を勧める。
毒針毛は非常に細かく、長袖でも夏服などは繊維のすきまから入り込む。直接触れなくても木の下を通ったり、風下にいるだけで被害にあうことがある。また幼虫自身の生死に関わらず発症するので、幼虫の脱皮殻や、殺虫剤散布後の死骸にも注意が必要である。」


本当に厄介な毒毛虫なのである。
僕も造園会社に勤めていた頃はかなり泣かされた。
注意していても風に乗って毒毛にやられるからである。
この時の同僚は、ひどくやられて布団のシーツを血で染めたほど(かゆくて寝ている間に掻きむしってしまうのだ)であった。
結局彼は医者に行って治療した。

このようなチャドクガの怖さを知っているものは、この時期(夏場)に不用意にツバキ、サザンカなどには触れない。
触れなくてはならない時は随分と検分してからおそるおそる手袋で触る。

普段は葉の裏側に固まって居ます。
f0159794_23483838.jpg結局この日はチャドクガのついた枝ごと切って、袋に入れて、焼いてしまった。
この作業もとてもおっかないもので、下手に枝を揺らすと、この毛虫はレスキュー部隊のように、枝から糸を垂らして一斉にぶら下がるのである。もちろん襲いかかったりはしないが、こうやって離散してしまう。だから、そうっとやって、そうっと火あぶりにしてしまわなくてはならない。




↓ 勝利の炎はオリンピックの聖火のように美しい。

これを読んだ人は本当に用心を願う。
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[データ]
「チャドクガ(茶毒蛾)」
日本では代表的な毒蛾。
ケムシは4月から10月にかけて年2回発生する。
チャノキ、ツバキ、サザンカなどツバキ科の植物の葉を食害する。
夏場はこれらの木に不用意に触れたり近寄ったりしないこと。
被害にあったと感じたら病院へいくこと。
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